ぶらりフォト紀行 臼杵城址へ行ってきました! その五

皆さま、こんにちは(ホントは・・・)。蓮賀です。今日もご来庵、ありがとうございます。

図らずも とんだ長丁場になってしまいましたが(・・; ともかく歩を進め、「大門櫓」 まで
戻ることにいたしましょう。それでは、参ります!

さて、グラウンドの北西の端へ着くと、舗装された幅の広い道 が南西のほうへ伸びて
います。その入り口付近の南側にあるのが、こちらの石垣です。
№44・「上ノ門」跡の石垣
稲葉氏が入城してすぐに
設けられた 「今橋口」
ら、「二ノ丸」 中心部への
入り口となる 「上ノ門」
跡。
シッカリと組まれた石垣が、
キレイに残っていますね。

なになに? 場所が良く分
かんねぇ!ですと!!?


では、今回は撮影場所の絵図を先に載せておきますね。右上端№44の位置から
撮ったものです。ここが今回のスタート地点。矢印はレンズを向けた方向ね。
撮影場所・その五
 ※なお、掲載の写真は 傾きやコントラスト、色合いなどを微修正してあります。
   そもそも素人撮影ですし、逆光で暗い部分とか多かったもので・・・(^^;
   また、クリックで拡大表示もできますので、細部を見たいと言う方は お試しください。


№45・上ノ門跡より「着見櫓」の石垣を望む№46・「着見櫓」と「上ノ門」跡の間
№47・「着見櫓」石垣の西側の勾配

これらも上ノ門と、近くの 「着見櫓」
石垣を撮ったものです・・・が、なんか中
途半端な構図でスミマセン m(_ _)m

でもでも、着見櫓の石垣の、独特な勾配
はお分かりいただけるかと思います。



そこから少し進むと、北西方向へと下る道 が枝分かれしている地点に着きました。
№48・稲葉氏時代の登城路「今橋口」

ここが 「今橋口」 です。これまでにご紹介した公園内の写真に 自動車が写っていた
のをご記憶の方もおられるかと思いますが、ここがその進入路になっていたワケ。

この今橋口の登城路は、藩主の行列が通りやすく かつ 見栄えするように との
思惑があったそうで、当時から道幅は広かったようです。
乱世から天下泰平の世へ・・・。お城の役割も、戦のための城砦から、権威の象徴
しての意味合いが より色濃くなって行くのでした。


さあ! ここまで来れば、ゴールは目前♪♪ 舗装された道を、さらに南西へ進みます。
この辺りも 二ノ丸の北壁 となる高い石垣が続いていますね。
№49・「二ノ丸」北西部の石垣
★“フェイク石垣!? 防御力より、見栄え良く!!
実はこの近辺は、今橋口が作られたころでも まだ 岩肌のまま だったんだとか。
なるほど、17世紀前半の絵図にも 今橋口~会所櫓の辺りまで岩肌が描かれています!
二の丸の西側が完全に石垣化されたのは、17世紀後半~18世紀 にかけて。
実用的な目的ではなく、西側に広がる城下町から見て より城郭らしくなるように施した、
お化粧 のようなものだったみたいです(笑)。
崖の表面に、厚さ15cmくらいの 石材を貼り付けただけの箇所もある らしいですよ。


右手に市営弓道場が見えてきたころ、お寺の鐘の音が聞こえてきました。
・・・おや!? 音が少し高いですね。小ぶりの鐘が案外近くで鳴っているような気が・・・
と思ったら、その壱でご紹介した 「時鐘櫓」跡の あの鐘が鳴っているのでした!
しかも! 全自動(笑!!)で。これはビックリΣ(@Д@)

どうやら 正午の時報 のようです。古橋口から入ったのが10時ごろでしたから、
かれこれ 2時間ほど掛かったことになります。・・・お腹も空きました(^^;

№50・「大門櫓」へ戻ってきました!
  と言うワケで、ようやく
  大門櫓 まで戻って
  来ました!!

  皆さま、
  お疲れさまで
  ございました。

  &ご一緒いただき
  ありがとう
  
ございました!




さてさて、この後は丹生島の外周を一回り して撮った写真を紹介する予定でしたが、
どうもイマイチなんですよね。アップ過ぎて分かりづらかったり、ノイズが入っていたり、
肝心な所を撮り忘れていたり・・・。

そこで、後日撮り直しに行こうと思っています。もう一度見ておきたい箇所もありますし。
ちょうどこれから 桜の季節♪ お花見気分も良いかも~。
・・・・・。いや、やっぱ花粉が終わるまでは止めといたほうがいいかな(^^;


では最後に、とっておき?のプチグルメ情報をば。
外周を一回りした後、私は 臼杵市歴史資料館へと足を伸ばしたのですが、さすがに
腹も減った、喉渇いた・・・・・てなもんで、道すがらの 八丁大路商店街 で小休止。
かねてよりウワサに聞いていた 「味噌ソフトクリーム」 を食べてみました♪
鑰屋の「味噌ソフトクリーム」
本体は普通のバニラアイスですが、
トッピングに
  味噌クランチ
        味噌パウダー
使った変り種なのです。

さらに 特製味噌ソース
かけられていると言うコダワリぶり!!

独特の甘味と塩気が相まって、疲れた
体と心を癒してくれますヨ


そんな味噌ソフトは、「カニ醤油 鑰屋」さんで頂くことができます。写真のコーンタイプは
310円(※税込み 2016年10月末の時点)。
臼杵へお越しの際には、皆さまも話の種に お一ついかがですか?


さて次回は・・・
 『ポケ戦』の素材制作が一段落したことで、今まで止まっていたモノが動き始めています。
 と言うワケで、久々に 制作系の状況報告 を行う予定です。

※今回の記事の作成にあたり、城跡内の案内版、観光パンフレット、Wikipedia・臼杵城等の 
記述を参考にさせていただきました。ありがとうございました! 
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ぶらりフォト紀行 臼杵城址へ行ってきました! その四

「卯寅口」から階段を登ってトイレの前を過ぎると・・・、こんな風景が広がっていました。

№32・「本丸」の東端

ここが 「本丸」 の東端です。木立との手すり向うに、かすかに水平線も見えています。
左側の葉っぱのない木の周辺が、下の案内図の右側にポツンとある楕円の草地
辺りになります。
本丸にも 御殿 が建っていたと思われますが、庭園の名残り・・・だったりするのかな?

臼杵城址・案内絵図
 ※なお、掲載の写真は 傾きやコントラスト、色合いなどを微修正してあります。
   そもそも素人撮影ですし、逆光で暗い部分とか多かったもので・・・(^^;
   また、クリックで拡大表示もできますので、細部を見たいと言う方は お試しください。


皆さま、こんにちは。蓮賀です(^^) 城址探訪も、早4回目回目。ようやく折り返し地点
に到達・・・と言ったところです。さあ、先を急ぎましょう! 目指せ、天守櫓跡!!

でもでも、せっかくですから高台からの眺めも ちょこっと楽しんで行きましょうかネ♪
№33・東端から海を眺める
城址の東側には、今ではこのように市街地が広がっています。少し南に目を向けると
(下段)、造船所のノッポなクレーンも見えます(臼杵は造船業も盛んなんですヨ)。

明治20年に周りが埋め立てられるまで、この丹生島は 文字どおりの “島” でした。
崖の真下まで波が打ち寄せ、南東の角には 「亀の首」 と呼ばれる細長い岩場が、
沖へ向かって伸びていた、と言われます。
戦国の世から変っていないのは、水平線と そこに浮かぶ島影、南東に見える山の稜
線・・・くらいでしょうかねぇ。


№34・洲崎口避難ループ本丸の北東の角へやって
来ました。
ちょっと変った構造物が
ありますが、これは「洲崎
口避難ループ橋」
おそらく、東日本大震災
の教訓を得て建設された
物と思われます。
そこからさらに、スロープ
を伝って本丸へ上がれる
ようになっています。


№35・本丸の北辺

本丸の北側を、さらに西へ進みます。古い絵図には、この辺りにも櫓が描かれています。


№36・本丸北西部から見る天守台

ふう・・・。ようやく本丸の北西部へたどり着きました。お! 左手には 天守台の石積み
も見えていますね♪ 中央部分を東西に走る部分は、当時の石垣が残っているのでしょ
うか・・・? その下の方は・・・これはブロックによる護岸のようですなぁ。
まあ、なにはともあれ、天守台のそばへ行ってみましょう!!

№37・天守台の石垣(北側)№38・天守台の石垣(西側)

左が北面、右が西面を撮ったもの。・・・なんかすっげえ坂道のように見えますが(^^;;、
地面も水平です。これで 高さは3mほど。でも、本来は7mあったと言うから驚きです!
空堀の底から測って、と言う意味らしいですが、それでも結構な高さはありますね。

臼杵城に天守櫓が建てられたのは、大友氏の改易後に入城した 福原氏の時代
本丸をこの東側に移し、二の丸となった 西部との高低差を補うため に、石垣を高ぁ
~く積み上げたのだとか。
そしてこの天守櫓の石垣は、城内に唯一残された 安土桃山時代の遺構 だそうな。
なんと! 九州では、肥前名護屋城に次いで古いもの だそうですよ。
それだけに、半分以上が失われ、残る部分もご覧の有様なのが残念でなりません。

では、一旦本丸へ戻って、天守台の上の櫓跡も確認しておきましょう。

つづきを読む…

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ぶらりフォト紀行 臼杵城址へ行ってきました! その参

はい、皆さま こんにちは! 蓮賀です(^^)/ ご訪問、ありがとうございます♪

今日も前回前々回に引き続き、臼杵城址公園 に居座っております!!
(ウソですよ! ホントは夜中に自宅で・・・ あくまで 実況風 ね)

№22・ひっそりと立つ 公衆電話ボックス今回は、この公衆電話ボックスから
先へ進んで行きますよ。

すぐ東側にある 「空堀」 の向うは、
もう 「本丸」 になります。

でも、その前に・・・


 城址全体が把握できる案内絵図を載せておきますので、合わせてご覧ください。
臼杵城址・案内絵図
 ※なお、掲載の写真は 傾きやコントラスト、色合いなどを微修正してあります。
   そもそも素人撮影ですし、逆光で暗い部分とか多かったもので・・・(^^;
   また、クリックで拡大表示もできますので、細部を見たいと言う方は お試しください。



で、ここがその 「空堀」 です。案内絵図でも分かるように、中央の道を挟んで 北と南に
分かれています。

№23・南の「空堀」1 南西の角より撮影

これは南の空堀を、南西の
角から北辺を撮っもの。

草に覆われてちょっと見え
にくいですが、立派な石垣
が組まれているのがうかが
えるかと思います。



下の 2枚は、本丸の塁線となる 「鉄門枡形」(くろがねもん ますがた)と、南端にある
「武具櫓」 跡(空堀に少しはみ出している部分がそう)の石垣です。右の写真は、北西
の角へ移動して撮影しました。

№24・南の「空堀」2 東側の石垣№25・南の「空堀」3 北西の角より撮影

武具櫓の石垣の半分ほどは 今は失われており(残念です! さらに、北側の空堀も
スゴいことになってしまっている
のですが・・・それはまた後で)、南側の歩道沿いに
本丸へ入れるようになっています。

でも我々は、本来の通用口である、中央の道を通って本丸へと進みましょう!


これは 「鉄門枡形」の石垣を、北東方向から撮ったものです。画面の右側が二ノ丸
(空堀の手摺がちょこっと見えていますね)、向かい(東側)に かつては 「鉄門櫓」
ありました。
№26・「鉄門枡形」の石垣

角の部分の石は「算木積み」(さんぎづみ)と呼ばれる積み方で組まれています。
これは17世紀前半に見られる特徴なんだそう。
ちなみに、枡形とは城の 防衛施設の一種 で、通路は一旦南へ 折れ・・・・・

№24・南の「空堀」2 東側の石垣つまり、右図のような道筋になっていた
ようです(観光パンフと、稲葉氏時代
の古地図を参考にしました)。

道を クランク状 に曲げて敵の勢いを
削ぎ、塀に囲まれた部分 を設けて
有利に戦おう! と言う仕掛けね。
もっとも、ココまで攻め込まれたら、
城主が自刃するための時間稼ぎ
しか、ならなかったでしょうけど。

写真左側(東)へ続く石垣の先が、鉄門櫓の土台になっていました。反対側(北)の
土台の石垣は、今は跡形もありません・・・。
残念ながら ここの上への立ち入りも禁止。でも、本来この場所に階段などなかった
ようです・・・。おそらく廃城の後に、観光用に造られたものじゃないかと思います。
 (イラスト中に描かれている階段とは、別の場所です)

さてここで、本丸の散策の前に、ちょっと寄り道をして行きましょう♪


枡形の石垣の向かいには、「卯寅稲荷神社」(うとのいなりじんじゃ)の宮所?があり、
南東の方へも道が伸びています(写真を撮ったのですが、なぜかノイズが・・・)。
この先に、もう一つ現存する 「卯寅口門脇櫓」(うとのくちもんわきやぐら)があるはず!
これは見ておかねばなりますまい。お稲荷さんの前の坂を下って行くと・・・。

№27・鳥居と松越しに見る「卯寅口門脇櫓」
ちょ~っと分かりづらいかも
しれませんが、赤い鳥居と
松の木の向うに、例の櫓が
見えています。

下り坂にそってぐるっと回り
込むと・・・・・



つづきを読む…

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ぶらりフォト紀行 臼杵城址へ行ってきました! その弐

はい、皆さま こんにちは! 蓮賀です(^^)/
今日も前回に引き続き、大分県臼杵市 にある 臼杵城址公園 におります。
(ウソですよ! ホントは夜中に自宅で書いてます。あくまで 実況風 ね)
臼杵城址・案内絵図
一応今回も、城址全体が把握できる案内絵図を載せておきますので、ご参照ください。
 ※なお、掲載の写真は 傾きやコントラスト、色合いなどを微修正してあります。
   そもそも素人撮影ですし、逆光で暗い部分とか多かったもので・・・(^^;
   また、クリックで拡大表示もできますので、細部を見たいと言う方は お試しください。



№08・模擬復元された「大門櫓」
では早速、大門櫓をくぐって二ノ丸内に いざ! 突入うぅ~~~!!!

おっ、さすがに二ノ丸は広いですね。道はすぐに二手にわかれ、中央には植え込みが
あります。左手は鳥居をくぐって護国神社へ向かう道、右手は南側を回りながら奥へと
続いています。
城址内には 約千本もの桜 が植えられており、毎年春先は花見客でにぎわっている
そうですよ♪ ・・・残念ながら、今は幹と枝ばかりですけどね。
ホントは桜の次期に来れると良かったのですが・・・あいにく私は花粉症で・・・(´・.,・`)

おっと、城跡の探訪に戻りましょう(^^; まずは大門櫓の 南側へと続く石垣GO!

№11・大門櫓の南側 「井楼櫓」の石垣

中央に見える大きな石垣が、「井楼櫓」(せいろうやぐら)の土台です。ここには、城内
で最大規模の櫓
(天守櫓は除く)が建っていたそうで、二階へ登れば、臼杵の城下町
が隅々まで一望できたことでしょうね。
でも、天邪鬼(笑)な私は、その脇の階段を登ってみることに。

№12・井楼櫓脇の石垣から見た「畳櫓」ここは大門櫓と井楼櫓を結ぶ
石垣で、かつては塀が建って
いたと思われます。

眼下に、前回紹介した 「畳櫓」
(№5)が見えますね。
この畳櫓と井楼櫓の辺りが、城
の一番南にあたります。


あ、ここで一つご注意を。この 2枚の写真から、ここには柵がないことがお分かりいた
だけるかと思います。幅もそれほど広くはないので、登った際は足元に気をつけてね。

今度は門の 北側へ続く石垣 へ行ってみます。

№13・大門櫓の北側 「会所櫓」の石垣

これは 「会所櫓」 の石垣。ここも井楼櫓同様、石垣と塀で大門櫓とつながっていたよ
うです。前回、下の道から撮った写真(№10)を掲載しましたが、あの奥に見えていた
石垣がこれ。上へ登る階段がありますが・・・奥行きが狭く急なので、お気をつけて。

№14・大門櫓へ続く石垣会所櫓跡から門の方へ続く石垣
を撮ったものです。
建物が残っていないのは残念で
すが、これはこれで風情を感じま
すねぇ・・・・・(-v-) 

ここには櫓の跡にも柵はあり
ません
からご注意を。


道へ戻ると、神社の宮所へ向かう道と、雑木林へ通じる道に分かれています。
雑木林の方へ進むと、道を挟むように立っている 2本の 大きな杉の木 があります。
幹に注連縄が巻いてありますので、神社の 御神木 なのでしょう。

№15・「臼杵護国神社」の社殿雑木林を抜けると、その 護国
神社 が見えてきました。お社
は、これまたうっそうとした木立
に囲まれています。

手前に砲弾を模した記念碑が
ありますね。護国神社だけに、
公園内には戦没者の慰霊碑
などがいくつかありましたが、

お城とは直接関係無いので 今回はスルー させていただきますm(_ _)m

№16・「居館庭園」の名残りの池
 お社の手前に池
 がありました。

 これは、延宝3年
 (1675年)にこの
 場所に移された、
 城主居館の庭園
 の名残り だそう
 ですよ。


歴代の稲葉家当主たちも、ここで鯉にエサをあげたりしていたのでしょうかね~。

ここからは、少し下って中央のグラウンドへ続く道と、南側の道へつながる道とに
分かれています。南側の方に、なにやら 記念碑 があるようなので行ってみますね。

つづきを読む…

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ぶらりフォト紀行 臼杵城址へ行ってきました! その壱

はい、皆さま こんにちは! 蓮賀です(^^)/
今日は大分県臼杵市 にある、臼杵城址公園 へとやってきました。
これから 4(予定)ほどに分けて、この城跡をご紹介いたしますヨ!
№01・西側より「臼杵城址」を望む

と言っても、これは先月 のお話なんですけどね(^^; でもまあ、せっかくですから
実況風 でご案内させてくださいな。
 ※なお、掲載の写真は 傾きやコントラスト、色合いなどを微修正してあります。
   そもそも素人撮影ですし、逆光で暗い部分とか多かったもので・・・(^^;
   また、クリックで拡大表示もできますので、細部を見たいと言う方は お試しください。


でもその前に、まずはざっとでも 臼杵城の 略歴 を説明せねばなりますまい。
規模としては小さなお城ですが、実際に戦(いくさ)も経験しているんですよ。
臼杵城(丹生島城)略歴
  ・弘治2年(1556年)、大友宗麟 により、臼杵湾内の 丹生島 に城が築かれる。

  ・天正14年(1587年)、島津軍 の攻撃を受けるが、辛くも守りきる。

  ・文禄3年(1594年)、改易となった大友氏に代わって、福原直高 が入城。
   石垣を築く本丸と二ノ丸の配置換え など、大改修に着手。

  ・福原氏は 3年ほどで府内へ移封。太田一吉 が城主となり、改修を引き継ぐ。
   西側の砂州を埋め立てて、三ノ丸 が築かれたのもこの時代。

  ・慶長5年(1600年)、関ヶ原の合戦 の折、太田一吉は西軍とみなされたため、
   東軍 中川秀成 の攻撃を受ける。後に 黒田如水 に降伏、開城。

  ・関ヶ原の後、美濃から 稲葉貞道 が入城。さらに城郭の改修、整備を行う。

  ・明治6年(1873年)、廃城 となるが、西南戦争の折に 稲葉氏 が籠城。薩摩
   
の攻撃を受けて落城するも、新政府軍 が奪還。

  ・明治20年(1877年)、周囲の海が埋め立てられて 地続きとなる。

  ・昭和41年(1966年)、県の史跡 となり、現在に至る。
そんなワケで、現在残っている石垣などは、安土桃山~江戸時代の遺構
と言うことになります(※大門櫓と土塀は、近年の模擬復元)。

次に、城郭の全体像を把握していただくために、マップ をご用意しました。
残念ながらドローンは無いので、Yahoo地図や観光案内用パンフなどを
参考にした お手製品 で失礼しますm(_ _)m
臼杵城址・案内絵図

さあ、お待たせしました!

№02・「古橋口」の石橋と鳥居それでは、西側の玄関口である
「古橋口」(ふるはしぐち)から
城址内へ入ってみましょう。
かつて島だった名残りの岩肌や
石垣、復元された白壁の土塀、
そして櫓門が見えます。

お堀にかかる石橋を渡り・・・・・


公園内には 「臼杵護国神社」 がありますので、鳥居も立ってます。
橋の上にいるのは、毎年11月に行われる お祭りの準備 をされている方々。
右手にある石垣に電飾?の取り付け作業を行っておられました。

鳥居をくぐって案内板の前を過ぎると・・・

№03・「鐙坂」の入り口付近

ややッ!!?


いきなり 行き止まり
なの??





いえいえ、心配はご無用。実は左手の方に、上り口が続いています。
岩盤を掘り切った狭い “S字カーブ” の坂道は、馬具の鐙に似ていることから
「鐙坂」(あぶみざか)と呼ばれ、宗麟の築城時代から残る 数少ない遺構
なのだとか。しかし・・・

この場所の写真は一枚もありませんm(_ _)m

実は、お祭りの飾りつけは この鐙坂にも施されるらしく、道には竹製の箱が
いくつも並べられ、やはり作業をされている方が。
そこで、「後で撮ればいいか・・・」 と思って・・・・・忘れてしまったようです。
これは したり!! 痛恨の極みッす・・・orz 反省。

№04・白壁の「狭間」から外を覗くと…気を取り直して先に進みますと、
下からも見えていた長い白壁の
塀が、右手側に続いています。


「狭間」(さま)と呼ばれる銃眼
が開いていますので、外を覗い
てみました。

この穴からは、前の道路の向こう側 にある交流プラザの入り口が見えています。
どうやら穴が水平に開けられているようですね。
本来は攻め寄せる敵兵を狙撃するためのものなので、斜め下方向 に開けられる
のですが・・・。戦の無い江戸期はこうだったのか、単に模擬復元だからか・・・は、
定かではありません(^^;

さらに登っていくと、また鳥居があります。その先にあるのが・・・

№05・現存する「畳櫓」この 「畳櫓」(たたみ
やぐら)です。
現存する 2基の櫓の
一つで、ご覧のとおり、
1階と2階の広さが同じ
重箱造り と言う構
造なのが特徴。

最初に建造されたのは、
正保年間(1644~48
年)だそうですヨ。

宝暦13年(1763年)の火災で一度 焼失 した後、明和年間(1764~72年)に再建
された物が今に残っています。

畳櫓の名前の由来はハッキリしないようですが、「中が畳敷きだったから」とか、「方角
の巽(たつみ)からきている」など、諸説あるみたい。

ここから道は左手へ曲がり・・・・・

№06・二ノ丸の石垣と「大門櫓」

二ノ丸への入り口、「大門櫓」 が見えてきました。その前に、左側の角にも 何やら
土台らしき石積みと階段 が!
 
№07・「中門」の土台と階段古い絵図を見ますと、かつてここには
鐙坂をまたぐ形で 「中門」 があった
ようです。
これは、その片側の土台と 2階の
櫓部分の中へ入る入り口 への
階段だと思われます。


№08・模擬復元された「大門櫓」

さて、大門櫓の下へやって来ました。この櫓門は、平成12年に模擬復元 された物だ
そう。ちなみに、稲葉氏以前の時代には この場所に門は無く、二ノ丸や本丸へ入るには、
北側の 帯曲輪(おびくるわ)をぐる~っと回っていたようです。

おや!? 少し先にも 何か建物がある ようですヨ。門をくぐる前に行ってみましょう~♪

№09・「時鐘櫓」跡の鐘つき堂お寺の鐘つき堂みたいですね。
稲葉氏の時代、この場所には
「時鐘櫓」(ときかねやぐら)が
あったようです。

櫓には時計 が設置され、鐘を
ついて城下に時を報せていた
んだとか。


この時報は、元禄14年(1701年)に 時鐘楼が街中へ移されるまで続けられました。
また、ここの古い地層からは、十字架を刻んだ軒瓦 が出土していることから、宗麟の
時代にも キリスト教関連の施設 なんかがあったのかもね。

さてさて、ふと北東の方へ目をやれば・・・

№10・帯曲輪へ伸びる「二ノ丸の石垣」

おおぉ~! これはまた、何とも城跡らしい光景が・・・♪
    は~る~こぉ~ぅ~ろ~ぅ~のぉ~~♪♪
      は~な~のぉ~~~~・・・          おっと、失礼。
滝廉太郎の 「荒城の は、同じ大分県のお城でも、竹田の岡城 であった(^^;
で、これに見えるのは、大門櫓から北の方へ延びる二ノ丸の石垣。奥の一段高い場所
は、「会所櫓」(かいしょやぐら)が建っていた場所だそうな。


と、言うところで、今回はここまでにいたいしとうございます。まだ先は長いですから(^^;

最後に、ご参考までに掲載した写真の撮影場所を記したマップを載せておきます。
撮影場所・その壱
番号写真タイトル(拡大表示
時に見れます)のそれに対応
矢印は、レンズを向けた方向
表しています。


畳櫓付近に密集していて、少々
見辛いかもしれませんね。

ゴメン・・・m(_ _)m


次回は、大門櫓をくぐって 「二ノ丸」 へ進みます! 櫓跡の石垣や庭園の名残りの池、
「国崩」(くにくずし) のレプリカなどを巡りますヨ。お楽しみに~(^^)/ 
それでは皆さま、ご静読どうもありがとうございました<(_ _)>

※今回の記事の作成にあたり、城跡内の案内版、観光パンフレット、Wikipedia・臼杵城等の 
記述を参考にさせていただきました。ありがとうございました! 
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プロフィール

蓮賀まさとき

Author:蓮賀まさとき
 
「蓮賀庵」を営むヘタレな主。
ナントカの横好きで、チマチマと
創作にいそしむ小心者。

御文のあて先
御文のあて先
基本的に、リクエストは
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あしからず・・・m(_ _)m

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