ぶらりフォト紀行 臼杵城址へ行ってきました! その四
「卯寅口」から階段を登ってトイレの前を過ぎると・・・、こんな風景が広がっていました。

ここが 「本丸」 の東端です。木立との手すり向うに、かすかに水平線も見えています。
左側の葉っぱのない木の周辺が、下の案内図の右側にポツンとある楕円の草地の
辺りになります。
本丸にも 御殿 が建っていたと思われますが、庭園の名残り・・・だったりするのかな?

※なお、掲載の写真は 傾きやコントラスト、色合いなどを微修正してあります。
そもそも素人撮影ですし、逆光で暗い部分とか多かったもので・・・(^^;
また、クリックで拡大表示もできますので、細部を見たいと言う方は お試しください。
皆さま、こんにちは。蓮賀です(^^) 城址探訪も、早4回目回目。ようやく折り返し地点
に到達・・・と言ったところです。さあ、先を急ぎましょう! 目指せ、天守櫓跡!!
でもでも、せっかくですから高台からの眺めも ちょこっと楽しんで行きましょうかネ♪

城址の東側には、今ではこのように市街地が広がっています。少し南に目を向けると
(下段)、造船所のノッポなクレーンも見えます(臼杵は造船業も盛んなんですヨ)。
明治20年に周りが埋め立てられるまで、この丹生島は 文字どおりの “島” でした。
崖の真下まで波が打ち寄せ、南東の角には 「亀の首」 と呼ばれる細長い岩場が、
沖へ向かって伸びていた、と言われます。
戦国の世から変っていないのは、水平線と そこに浮かぶ島影、南東に見える山の稜
線・・・くらいでしょうかねぇ。
本丸の北東の角へやって
来ました。
ちょっと変った構造物が
ありますが、これは「洲崎
口避難ループ橋」 。
おそらく、東日本大震災
の教訓を得て建設された
物と思われます。
そこからさらに、スロープ
を伝って本丸へ上がれる
ようになっています。

本丸の北側を、さらに西へ進みます。古い絵図には、この辺りにも櫓が描かれています。

ふう・・・。ようやく本丸の北西部へたどり着きました。お! 左手には 天守台の石積み
も見えていますね♪ 中央部分を東西に走る部分は、当時の石垣が残っているのでしょ
うか・・・? その下の方は・・・これはブロックによる護岸のようですなぁ。
まあ、なにはともあれ、天守台のそばへ行ってみましょう!!


左が北面、右が西面を撮ったもの。・・・なんかすっげえ坂道のように見えますが(^^;;、
地面も水平です。これで 高さは3mほど。でも、本来は7mあったと言うから驚きです!
空堀の底から測って、と言う意味らしいですが、それでも結構な高さはありますね。
臼杵城に天守櫓が建てられたのは、大友氏の改易後に入城した 福原氏の時代。
本丸をこの東側に移し、二の丸となった 西部との高低差を補うため に、石垣を高ぁ
~く積み上げたのだとか。
そしてこの天守櫓の石垣は、城内に唯一残された 安土桃山時代の遺構 だそうな。
なんと! 九州では、肥前名護屋城に次いで古いもの だそうですよ。
それだけに、半分以上が失われ、残る部分もご覧の有様なのが残念でなりません。
では、一旦本丸へ戻って、天守台の上の櫓跡も確認しておきましょう。

ここが 「本丸」 の東端です。木立との手すり向うに、かすかに水平線も見えています。
左側の葉っぱのない木の周辺が、下の案内図の右側にポツンとある楕円の草地の
辺りになります。
本丸にも 御殿 が建っていたと思われますが、庭園の名残り・・・だったりするのかな?

※なお、掲載の写真は 傾きやコントラスト、色合いなどを微修正してあります。
そもそも素人撮影ですし、逆光で暗い部分とか多かったもので・・・(^^;
また、クリックで拡大表示もできますので、細部を見たいと言う方は お試しください。
皆さま、こんにちは。蓮賀です(^^) 城址探訪も、早4回目回目。ようやく折り返し地点
に到達・・・と言ったところです。さあ、先を急ぎましょう! 目指せ、天守櫓跡!!
でもでも、せっかくですから高台からの眺めも ちょこっと楽しんで行きましょうかネ♪

城址の東側には、今ではこのように市街地が広がっています。少し南に目を向けると
(下段)、造船所のノッポなクレーンも見えます(臼杵は造船業も盛んなんですヨ)。
明治20年に周りが埋め立てられるまで、この丹生島は 文字どおりの “島” でした。
崖の真下まで波が打ち寄せ、南東の角には 「亀の首」 と呼ばれる細長い岩場が、
沖へ向かって伸びていた、と言われます。
戦国の世から変っていないのは、水平線と そこに浮かぶ島影、南東に見える山の稜
線・・・くらいでしょうかねぇ。

来ました。
ちょっと変った構造物が
ありますが、これは「洲崎
口避難ループ橋」 。
おそらく、東日本大震災
の教訓を得て建設された
物と思われます。
そこからさらに、スロープ
を伝って本丸へ上がれる
ようになっています。

本丸の北側を、さらに西へ進みます。古い絵図には、この辺りにも櫓が描かれています。

ふう・・・。ようやく本丸の北西部へたどり着きました。お! 左手には 天守台の石積み
も見えていますね♪ 中央部分を東西に走る部分は、当時の石垣が残っているのでしょ
うか・・・? その下の方は・・・これはブロックによる護岸のようですなぁ。
まあ、なにはともあれ、天守台のそばへ行ってみましょう!!


左が北面、右が西面を撮ったもの。・・・なんかすっげえ坂道のように見えますが(^^;;、
地面も水平です。これで 高さは3mほど。でも、本来は7mあったと言うから驚きです!
空堀の底から測って、と言う意味らしいですが、それでも結構な高さはありますね。
臼杵城に天守櫓が建てられたのは、大友氏の改易後に入城した 福原氏の時代。
本丸をこの東側に移し、二の丸となった 西部との高低差を補うため に、石垣を高ぁ
~く積み上げたのだとか。
そしてこの天守櫓の石垣は、城内に唯一残された 安土桃山時代の遺構 だそうな。
なんと! 九州では、肥前名護屋城に次いで古いもの だそうですよ。
それだけに、半分以上が失われ、残る部分もご覧の有様なのが残念でなりません。
では、一旦本丸へ戻って、天守台の上の櫓跡も確認しておきましょう。
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